イラク戦争とは何だったのか

捕虜として囚われた人たちが受けた経験

捕虜として囚われた人たちが受けた経験

奇跡的に救出されるケースも

現状IS関連の事件に巻き込まれた場合、死を覚悟した方がいいと断言した方がいい。助かるケースなど皆無、そう見ていた方が手っ取り早いだろう。それを理解していたのか、湯川遥菜さんを助けようとした後藤健二さんは、交渉決裂後まで一貫して姿勢を揺るがすこと無く死を待っていたとも言われている。事実かどうかは定かではありませんが、覚悟して渡航した末の末路とでもいうべきか。ISはそうした人質を殺した後の姿も動画としてインターネット上のサイトにアップするなどして、自分たちの正当性を主張する、あるいは恐怖を伝播させるためにメディアを用いたプロパガンダを行い続けている。

死んだと思え、捕まった人たちはそうした覚悟が求められるわけだが、必ずしも人質となった場合は末路が同じというわけではない。ある報道ではISの拠点と思しき場所に特殊部隊が突入し、そこに捕虜として囚われていた人々を救出したというニュースが流れた。これは素直に喜ぶべき点でしょう、ですがそこにいたのはアメリカ人といった多民族ではなく、自分たちに連なるはずのアラブ人達が中心だったという。その数69人、そして各々が語っていた捕まっていた時に行われていた拷問はやはり、というべき所業ばかりだった。

イエスであろうとノーであろうと

捕まっていた捕虜の中にはイラクの治安維持部隊の軍人もいたという。彼らは解放された後に取材に応じ、そこで行われていた尋問とは名ばかりの拷問に恐怖を漏らしながら言葉を紡いだ。窒息寸前までビニール袋に顔を入れられ、電気ショックによる拷問、多人数から受ける暴力の嵐と、捕虜というには行き過ぎた扱いをしている感が否めない。

しかしこれは過去、イラク戦争においてアメリカ軍が反勢力の捕虜たちに対して行ったこととあまり変わらないことは、先に言っておく。拠点にいたメンバーたちの中に戦争に参加していた人物がいたかどうかは定かではないにしても、自分たちの同胞がされたことと同じようにしているだけと言われては、立つ瀬はない。ましてアメリカの一部軍人が行っていたとしても、その責任は次いでつきまとう。首謀していた人々は国で罰せられはしたが、遺恨を残したといえる決定的瞬間だ。

それらの苛酷な現実に耐えに耐えていたと言われているが、例え待っている先に死があったとしても目の前の痛みから逃げるためには認めた方が早いとしてあるはずもない罪を認めようともしていたという。その先に処刑しかないのは分かっていたが、今ある苦痛から逃げられるのなら死を選んだほうが良い、そう思えるほどの状況だったという。

経験したものでなければ分からない痛みがそこにあり、世界の常識に通じない不条理だけが存在する捕虜としての立場。ISのしていること、これを悪だと断罪する人が大多数だが、当人たちにすれば敬虔に教えを守っているだけに過ぎないと言ってくるのではないか。

宗教を糧とした

ISには指導者こそ存在しているものの、彼らが唯一無二に信じ続けているものは他でもないイスラム教だ。教典に記載された内容を熟読し、自分に何が出来るのか考えた末にISへの参加を表明したのだろう。そこには彼らなりの正義がある、そして正義の執行をしているのにそれらを妨げる障害は悪とみなしている。自分たちは今この瞬間、行っているジハードのためだと語るも肯定するのは身内だけだ。傍から見れば自分たちの考えに同調しない人間は八つ裂きにしてしまえ、一度でも歯向かってくれば異教とみなして殺してしまえばいいだけのこと、暗にそう言っていると個人的に見ている。

捕虜として捉えられた人たちもそれが分かっていても、迫り来る死の恐怖には耐えられない。死ぬことが出来ない暴力を肉体に浴びせられ続け、死ぬ寸前で何度も繰り返される拷問は、生きているのが辛くなるほどだ。

アメリカや日本などを始めとした国からすればイスラム国を絶対悪として見ている、対してイスラム国にすれば自分たちと考えを協調しないもの全てが異端な存在であるとしている。見てもらえば分かるように、敵とする尺度の広さが桁違いなのが手に取るように理解できるはずだ。

現実を知らない若者たちを

ISのしていることは正しいと信じて参戦する外国人兵士は、そうしたISの内情を事細かく知る人は少ない。言ってしまえば何も知らないからこそ招いて自分たちの尖兵に仕立ててしまう、ということだ。正しいことをしていると信じて、敬虔にイスラム教を崇拝する外国人ほどISの現実を思い知らされて後悔するとも言われているくらいだ。

それでも今こうしている間に、ISへの参加を決意する人は後を絶たないよう。