イラク戦争とは何だったのか

2003年、戦端の火蓋が落とされた

2003年、戦端の火蓋が落とされた

戦争に対しての見解

開戦後、アメリカによる攻撃はたちまちイラクの首都バグダードを始めとした都市部への空爆に始まり、更に陸上からも部隊を進行させる本格的な侵攻作戦が展開されていった。今まで絵巻物といわんばかりの状況にはただただ驚くしかできない筆者にすれば、そこは想像ではない地獄が展開されているのだろうと思ったものです。逆に言えば今までリアルに戦争を見たことがない、リアルタイムで本当に行われているという事実に喜々として喜んでいた人もいるのかもしれません。筆者の友人にも戦争を肯定的に捉えていた意見を述べている人はいましたが、表面上はそれなりに聞き流してはいたものの、決して賛同できるものではなかった。

確かに国とテロリストが内通しているとしたら由々しき問題だ、しかしアメリカはそうした証拠をただ言葉で世界を取り込んであたかもイラクこそが争いの権化であると言わんばかりに強硬な姿勢をここでも見せていきます。そうした態度にイギリスやフランスなどの主要各国もアメリカが主張する意見に疑問を呈した。

それでもアメリカの止まらない行動に、やがて当時の政権に不満を抱えていた人々は扇動されて、国内外からの攻撃により当時のイラク政権を握っていた大統領は打倒され、イラクに安寧がやってきたと思われました。

しかしその結果で見えてきたのは、アメリカにはアメリカの思惑が、そして当時の政権に対して密かに企てられていた作戦などが画策していたという黒すぎる事実が浮き彫りになっていきます。

動いていた思惑として

アメリカの場合

アメリカは大義名分としてイラクが過去、これまでにも見られていた国連への協力と国際社会に対しての強硬姿勢を理由に開戦したというのが実情。一時は世界的に賛成の意見を集めていきますが、証拠もなにもない状態から始められた事から、段々と行動一貫したものがないとして否定的な意見が述べられるようになっていった。しかしそうであってもアメリカは自国の民が大勢殺害された事もあり、世界の中心とも言える自分たちの立場を鑑みて態度を硬化させていった。

ただこの時、アメリカとしても戦争をあまり長引かせるつもりはなかったことを明かしている。そもそも中東の、石油を始めとした天然資源に富んだ地帯だったこともあってそうした有限的な資材にダメージを残さないようにという意図もあった。また独占するつもりだったのではないかという指摘も後に声として届けられていましたが、それはそれとしてもだ。本格的に攻撃を行えばイラクは降伏するだろう、そして国民たちによる決起が行われるはずだと楽観的に考えていた部分もあったという。

しかし思惑は見事に外れ、大統領は健在ぶりをアピールするというような行動を見せていた。このため陸上からの攻撃にも踏み出さなくてはならなくなり、この瞬間には戦争が長期化することは傍から見ても明らかだった。

イラク国内の場合

ただイラクにしても、まさかアメリカが本気で攻撃を仕掛けてくるとは考えておらず、当時の大統領も判断を見誤ったのではないかと見られていたほど。アメリカにしてもイラクにしても、本当に戦争をする気などなかったというのが伺える点なのもあって、これらの騒動には第三者としての意見を述べる場合にはなかなか難しいところ。

そんな中でだ、後に明らかにされたのが当時の大統領の息子が父親の政治体制に対して反感を持っていたこともあり、クーデターを起こそうとすら考えていたことが明らかにされます。混乱に乗じて自身がイラク大統領になろうとした、しかしそれもアメリカの空爆によって宣言するはずだったラジオ局がダメージを受けた事から、決起する事も出来なかったという。その後は父親とともにアメリカの攻撃が届かない国へと亡命しようとしたら入国を拒否され、国内で潜伏せざるを得なかった。

どっちにしてもこの戦争はあちこちで様々な思惑が策謀していた事実だけは間違いないようです。

日本の動きとして

こうした世界情勢の動きに、日本がどんなことをしたのかは覚えている人もいるでしょう。戦争に参加する、それは明確な憲法違反であり、以後日本が武力を持つことを禁止するとした憲法によって守られていた絶対安全策でした。しかし当時の首相はアメリカの意見を絶対的に肯定し、日本が自衛のために管理している自衛隊をイラク戦争へと派遣することが決定された。

しかし戦闘行為に参加するのは認められていないため、あくまで後方支援によるサポートに留まることでイラクへと派遣されます。期間にしておよそ4年という航空自衛隊の長きに渡る任務を持ってして、日本がイラク戦争に加担したという事実はこの点を持ってして確定した事象へと塗りたくられてしまいます。

絶対悪だと罵られていたイラク、その戦争に参加した日本はただ莫大な援助金を送っただけだとして、多くの非難を浴びることとなった。